福知山の洋菓子店 野球の思い出

明智茶屋の植村です。

お盆の期間はたくさんのご来店ありがとうございました。
「金曜のLINEいつも読んでます」の声がきけたり、お供えやお土産に焼き菓子を選んでもらえたりするのが嬉しかったです。

さて、お盆の話題といえば11年ぶりに上がった打ち上げ花火やいろいろ物議があったパリオリンピックがありますが、高校野球も盛り上がっていますね。

今年は100周年ということで優勝したチームはとても名誉ある大会になりますね。

何を隠そう植村は甲子園に1回か2回立ったことがあります。

なぜあいまいかというと「他力」だったからです。

小学生の時に所属していた野球チームの先輩方がとても強く、京都北部の代表として甲子園で試合をするという大会に金魚のフンのような状態でついていったのを覚えています。

とても強かったのですが、人数は少なく年齢が高い順にベンチ入りすることができ、植村は小学3年でギリギリ中に入れました。

感じたことは座るための椅子は高く土は黒いということですね。

自分達の代では甲子園に行けませんでした。

 中学生の野球ではスタメンではなくランナーコーチ(ランコー)をしていました。

3塁の。

で、今日は3塁ランコーをしていた時に感じていたことを思い出したのでシェアしたいと思います。

ランナーコーチの仕事は走っているランナーの目となって次に進むのか、それともここでストップするのかを指示する仕事なのですが、

例えばヒットを打って1塁で止めるか2塁までいけるかの判断は打った本人の進行方向に球が進むのでわかりやすく、1塁ランコーの力はあまりいらないのですが、

2塁の選手がホームに帰る時は進行方向の逆方向に球が飛んでいくので3塁ランコーのジャッジがけっこう重要になってきます。

ここまでが3塁ランコーの仕事の中身です。

1塁ランコーと比べて責任重すぎませんか?

いけると思ってランナー走らせて、ホームでアウトになった時に
「なんで走らせたん?」って思われませんか。

植村は責任感に負け、あまり強気な判断はしないようにしました。

知っていると知らないのは全く違うので、今日は3塁ランコーのほうが1塁ランコーより格上だったんだな。と気付けてよかったです。

それでは良い週末を!